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芸人物語 第3話〜ウポンという男〜

創作話 、の話
「えー、一席のお付き合いを願うわけでございます。我々、噺家というものはその日その日、この寄席という場所に着いてからなんの話をしようかなというのを決めるでごさあす。今日は子供が来てるな珍しい、じゃあ一丁子供の出てくる話、初天神なんかやってやろうとか。高齢のご夫婦が多いなとそんな時は、芝浜をやろうかなとかそういうことを思うわけでございます。今日はざっーと見渡しまして、これから泥棒の話をやろうかなと思います」

客席がどっと湧く。新宿末末亭の高座で今、古典落語「だくだく」を語り始めたのは平成の爆笑王の座を欲しいままにしているタチツ亭ウポンだ。
高校卒業後の18歳の時に人間国宝二代目タチツ亭ノマドに弟子入り。4年で二つ目昇進。テレビドラマや映画、ラジオに引っ張りだこで休む暇のないウポンの落語を生で観れれるとあって、彼の出る寄席や落語会はいつも人が溢れている。
客席でA4ノートを片手に鉛筆を走らせ、ウポンの一挙手一投足を食い入るように見つめているのが、雨宮廉だ。
「ウポン師匠の落語は宇宙なんだ。古典落語にアドリブで独自の笑いのエッセンスを詰め込んで自分の世界観を作り上げる。発想の凄さはもちろんだがなんといってもその語り口、噺家としての技術は他の追随を許さない。」そんなことを毎日のように友人に語っては、毎度面倒くさそうな顔をされる。

「ここか!!ここだろー!!と槍をドスンとついたつもり! うあっ、イテテ!突かれたつもり! グリグリグリ、とえぐっ、、、な、なんだこれは!」

雨宮の鉛筆が止まる。
本来の「だくだく」ならこの後「グリグリグリとえぐったつもり→血がだくだくっと流れたてもり」でサゲだ。盗人の"つもり"に乗っかり家主も"つもり"で応戦する。江戸の古典らしい、粋な話だ。しかしウポン師匠の様子がおかしい。ここからアドリブを入れるのか?もうオチだというのに。

「なんだこりゃあ!! 小さな、虫、、、?蚊だ!藪蚊だ!!! 盗人の傷口から藪蚊が出てきやがった!」
雨宮は呆然とした。なんだこのシュールなボケは。ウポン師匠はこんな不条理の笑いを嫌うはずなのに。荒唐無稽にもほどがある。傷口から藪蚊?意味がわからない。何か意味があるはずだ。とかなんとか考えているうちに、鉛筆を持つ右手に蚊が一匹止まる。なんだよこの季節に。冬だぞ。なんで蚊がいるんだよ。ま、まさか?雨宮がすっと目の前の高座を見ると、舞台中に黒い塊、おおきな黒い影が見えた。
「おい、嘘だろ!?」
藪蚊だった。大量の藪蚊が、ウポン師匠演じる盗人の腹から流れ出している。夢か誠か。周りの客もざわつき始め、寄席を出る人もいる。
「人間の身体から藪蚊?しかも本物の…蚊?」
気づけば雨宮の皮膚は真っ黒に染まっていた。
蚊が雨宮の若い美味しい血を吸うべく群がってきたのだ。
「あれ、痒くない…」
一匹の好奇心旺盛な蚊が口の中に入る。

数時間後、雨宮が目を覚ますと見知らぬ粗末な和室の布団に寝かされていることに気づいた。
「目が覚めたか。」ウポン師匠だ。
「あの、なん、どういうことですか?」
「お前はもう普通の人間ではなくなった。」
「どういうことですか!?」
「お前は蚊と共にこれからの人生を生きることになる。」
「言っている意味がわからないんですけど…」
「じきにわかるさ。じゃあな。」
ウポンの後を追うように外に出たがウポンはそそくさとタクシーに乗り何処かへ行ってしまった。

これが1985年1月10日、【藪蚊男】誕生の日であった。
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