伝われ伝われで、伝わらない

話がめっちゃ下手で、小さい頃から「話長いねん」やら「結局何が言いたいねん」と何百回と叱咤されてきたのだが、24歳1ヶ月になってもそれは治らずであった。

言いたいことが伝わらない、曲解されてしまうという体験は妙に屈辱的で、しかも厄介だ。そんな中、しらずしらずのうちに身についた解決策の一つが「語彙を増やす」ということだった。

だけれど根本的な解決にはなんにもならず、

「伝われ、伝われと思ってたくさんの語彙を駆使し、たくさんの言葉を吐く」行為そのものが、他人との間に溝を掘ることになっていると気づいたのはつい数年前のことで、そのときはうわあって、うわあって思いました。

 大学生の時、バイト先の店長に熟成肉のステーキをごちそうしていただく機会があった。

「肉汁がじゅわっと口に染み出してきますね!熟成された年月が、、、なんか肉の繊維の中に刻み込まれてる感じっすね、豊かで深い味っす!!!」

といったら、対面の店長は一言、「黙れ」といい、その次の日からシフトを大幅に削られたことがあった。HPも削られた。

言葉が思考を自由にする、と誰かがいった。「考える時間」は平均よりも多い人生だと思っている。しかしやはり「考える」と「伝える」の間の絶望的に横たわるでっかい溝にやりきれなさを感じる。僕は論理的でもなければ、情緒的でもないと自覚しているけど、そのなんか中途半端な思考回路が、伝わらなさを生み出しているのだったら、なんか悲しいし人生を否定されている気がするのだ(自分にね!)。

 うーん、読み返してみても、やっぱり「何が言いたいねん」感はばっちし目の前に鎮座しているのであって、そのあたりも含めたもろもろの力の向上の意味も込めてこのブログを書いているわけです。やー。うん。とほほ。

 

 

広告を非表示にする